大阪高等裁判所 昭和35年(う)380号 判決 1960年8月05日
被告人 狩野肇
主文
原判決中出入国管理令違反に関する部分(免訴の部分)を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴趣意は検察官石原鼎作成の控訴趣意書及び同竹内猛作成の同補充書記載のとおりであり、これに対する被告人の答弁は弁護人石川元也提出の答弁書及び同補充書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
原判決は、「被告人は昭和二八年一二月上旬頃より昭和三三年六月下旬頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦より本邦外の地域に出国したものである」という公訴事実に対し、その挙示の証拠によつて「被告人は、昭和二八年一一月一一日から同年一二月末日までの間の某日、本邦より出国し、昭和三三年七月一三日本邦に帰国したものであるが、その間引続き中華人民共和国に滞留していた」との事実を認めることができるとし、右事実は出入国管理令第七一条、第六〇条第二項に該当しその所定刑は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金であるがその犯行は出国と同時に終了すると解すべきであるから、その公訴時効の期間は出国の時より起算して三年である、しかるに本件公訴の提起は、被告人が出国したと認められる昭和二八年一二月末日から起算してすでに五年七ヵ月余経過した昭和三三年七月二五日に行われたものであるから、既に公訴の時効は完成しているとし免訴の言渡をした。そして刑事訴訟法第二五五条第一項の前段と後段とはこれを統一して解釈すべく、後段が公訴を提起したが起訴状の謄本が送達されないことをもつて時効停止の事由としている点からみて、前段によつて停止するのは、単に犯人が外国にいるというだけでなく訴追機関において公訴を提起したが、犯人が国外にいるためにこれをなしえなかつた状況換言すれば、訴追機関において公訴の提起をなしうる程度に犯人及び犯罪事実を確知していたという事実のあることを要するのであり、かように解することが時効制度の趣旨に合致する。しかるに本件においてはかかる事実のあつたことは認められないから、時効の停止はないという趣旨を明らかにした。
よつて審究すると、刑事訴訟法第二五五条第一項は「犯人が国外にいる場合又は犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効はその国外にいる期間又は逃げ隠れている期間その進行を停止する」と規定し、その後段が公訴権行使の手続に着手した事実の存在を前提としているのに対し、前段はその存在を前提としていないことは明文の示すところである。従つて同条項は、後段において犯罪が国内又は国外のいずれにおいて行われたかを問わず、公訴が提起された当時又はその後に、犯人が国内又は国外のいずれかに逃げ隠れているために、起訴状又は略式命令の謄本の送達が法定期間内に送達されなかつたときは右公訴提起はさかのぼつて効力を失うので、更にその手続を有効にとらせるために、逃げ隠れている間公訴の時効の進行を停止することを定めるとともに、前段において犯罪が国内又は国外のいずれにおいて行われたかを問わず、公訴提起に先だち犯人が国外にいるときは、その期間公訴の時効の進行を停止するとした規定であることはいうまでもない。そして前段の場合、捜査又は公訴提起の手続に着手したことを要しないことはもちろん、原判示のように単に犯人が国外にいるというだけでは足らず、訴追機関において、公訴を提起しうる程度に、犯人及び犯罪事実を確知していたという事実のあることを要するとすべき法文上の根拠はないし、時効制度上かく解しなければならない合理的根拠は少しもない。公訴の時効制度は、日時の経過による犯罪の社会的影響の微弱化、可罰性の減少証拠の散逸による真実発見の困難性に由来していることは一般に唱えられているところであるが、同時に時効の利益がどの程度に与えられるかは立法に属する問題であつて、犯人が国外にいる場合に、時効の進行を停止するとした例外的規定を、原判示のように解釈しなければならないとすべきではない。これを右前段についていうと、犯人が国内にいるときは訴追機関としてはいつでも公訴権を行使し又はしなければならない状態におかれているということができ、しかるにかかわらず公訴権行使を怠り又は何らかの障害によつてその行使を妨げられる等のことがあつて行使しえなかつたとしても、時効の利益を犯人に享受させるのに不当はないが、刑事訴訟法の効力の直接及ばない国外に犯人がいるときは、訴追機関において捜査の端緒をつかみ、犯罪を覚知しうる機会に乏しく、且つ公訴権行使が不可能か又はこれに多大の困難を伴い、円滑に公訴権を実現しえないのを通例とし、かくては国外にいるという一事により、犯人に訴追機関の追及から容易に免れしめ、不当に時効の利益を享受せしめることとなるので、訴追機関が犯罪を覚知したと否とにかかわらず、国外にいる期間、時効の進行を停止したのであると解せられ、かく解することが明文に合致し、時効制度の上からも合理的でないとはいえない。又右後段は前記のとおり、いつたん公訴手続が執られた後のことに属し、このことがある以上時効の利益の享受を制限することとした規定であつて、この場合国外に逃げ隠れている場合は、その理由が前段の場合と共通することはあるが、両者は要件を異にし、統一して解釈しなければならない合理的要請は認められない。なお原判決は、いわゆる国外犯にあつては、犯人が国外にいる限り、永久に公訴時効の完成をみることがなく、国内犯にあつても、転勤等の偶然の事由により、犯人が国外に移住する場合には、国内にいると異なり時効の進行を停止することとなり、又共犯者のある者が国内にいるときは時効は進行し、国外にいる他の共犯者は国外にいるという一事をもつて、時効の進行が停止するということとなり、不合理であるというが、かかる現象は、原判決のように解釈しても生起することを絶対に防止することはできないことは明らかであり、これをもつて原判決のように解釈しなければならない根拠とするには足りない。
以上要するに、右条項について明文がないのに原判決のように解釈すべきではなく、本件公訴時効期間は原判決が認定した被告人の帰国の日である昭和三三年七月一三日から起算して三年であり、本件起訴当時はまだ時効が完成していないのに、免訴の言渡をした原判決は、訴訟手続に関する刑事訴訟法第二五五条第一項の規定の解釈適用を誤まつたもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかで、論旨は理由があるから、この点において破棄を免れない。よつて刑事訴訟法第三九七条、第三七九条、第四〇〇条但書により原判決中出入国管理令違反に関する部分すなわち免訴の部分を破棄し、原判決確定の事実に出入国管理令第七一条、第六〇条第二項、刑法第二五条第一項を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 小川武夫 柳田俊雄 吉川実)